• この映画のお話をいただいたとき、私は大切な人を亡くし、心に大きな穴が開いていた。大き過ぎる悲嘆をくぐり抜けた方々の声に耳を傾け、言葉を紡ぐうちに、いつしかその穴に清涼な風が吹き抜けていた。それが、「グリーフケア」だったのだろう。
    ドキュメンタリーディレクター 中村裕

  • 『グリーフケアの時代に』推薦コメント/応援メッセージ
    順不同・敬称略

  • ★横井弘海(フリージャーナリスト)

    10月末に母が亡くなった。そのタイミングでこの映画を観て、悲しい心が少し癒えた気がした。
    映画に登場する方々の壮絶な「喪失」からすれば、世間的には天寿を全うした年齢の母の死は諦めがつきやすかったから?
    いや喪失感は他の人のと比べるものでもない。
    「ひとりで悲しみを背負わなくて良いよ」と教えてくれる人たちや大切な人を失った喪失感を乗り越えて行く人たちの姿を映す映画。
    これぞ私にとってのグリーフケアとなった。

  • ★大島新(ドキュメンタリー監督)

    「大切な人を失う悲しみ」と一言で言っても、その中身は千差万別なのだということを、この映画は教えてくれる。つまり、みな違う。
    それぞれの悲痛な言葉に、心を揺さぶられる。そんな人たちに対して周囲の人間ができることは何か。
    「傾聴」という言葉の重みと、深さを知った。そして中村裕監督が、まさに傾聴の人なのだ。

  • ★桜井浩子(女優)

    歳を重ねて、哀しみとは何か?魂の叫びとはどんなことか?判っているつもりでした。が、この作品を拝見して、自分が如何に思いあがっていたかを痛切に感じました。
    「哀しみが極まると、人って感情が無くなるんですよね」この一言が胸に刺さりました。
    人としての幸せを祈らずにはいられなくなる深い深い作品です。

  • ★本橋由紀(毎日新聞記者)

    大事な存在を失うと体の中に大きな穴が開く。
    お子さんを突然亡くした女性が「五感がなくなった」と表現した。もろい。
    でも、そこにそっといてくれる人の存在により、「哀しみ」の本質に気づき、生きることに向かう。いのちは死と共にある。地縁血縁、身近な個人の経験によって抑え込まれるのではなく、喪失に向き合うためのテクニックを身につけた専門家が育ち、そばにいてくれる。
    そこに希望を見た。

  • ★朝比奈千鶴(ライター・脚本家)

    喜びの感情は繋がりやすいのに、悲しみの感情を分かち合うのは難しい。
    大切な人の死など、喪失体験を伴うなら尚更のこと。
    悲しみが深ければ深いほど、他者との間に大きな壁ができてしまい、その壁を壊すには相当な勇気がいる。
    この映画は、突然に遭遇する喪失体験の、当事者、隣人として、取り扱い注意の「心」にどう向き合うのか、と問いかけてくる。
    悲しみを抱いて見つめる、やさしい社会のひとりになりたい。

  • ★岡田匠(朝日新聞文化部記者 宗教担当)

    この映画は、たんなるドキュメンタリーにとどまりません。
    グリーフケアの根源がわかります。そうです。グリーフケアの「教科書」なんです。
    しかも、理屈ではなく、リアルそのもの。愛する人を失った悲しみは消えることがありません。その現実にどう向き合えばいいのか。答えのない問いに、答えてくれる「真実の映画」です。

  • ★小林芙蓉(書画家)

    悲しい時は泣けば良い、無理に笑わなくてもよいそのように教えてくれる映画でした。

  • ★金川裕一(横河デジタル代表取締役社長、日本バレーボール協会副会長)

    こういう活動があること自体知りませんでした。いつ自分にも起きるかもしれないことですが、何事においても人の話しを傾聴し、共有し、承認していくことを普段から心がけていつでもケアする側になれる準備をしておけば、自らが突然、グリーフの状況になっても躊躇なくケアを求めることもできるのではないかと考えさせられました。突然訪れる大事な人やモノなどを失うことの受けるダメージは想像を絶するものでその為の準備、心構えなどできるものでもありません。
    こういう映画を観ることで何か記憶にマーキングできるのではないでしょうか?

  • ★EPO(音楽家)

    『2023年1月に、最愛の猫を病気で見送り、
    立ち直れないほどの哀しみを経験しました。
    哀しみを経験するたびに、
    私はこれまで、どうやってこの心の痛みを手放してきたんだっけ?
    と、いつも「哀しみの忘れ方」を思い出そうとしていました。
    「哀しみ」と向き合うのが辛いからです。
    その時、私は自分自身とも、友人や、親しい人たちとも、
    社会からも孤立して、ひとりぼっちになっていました。
    今回、この作品を拝見して、
    私があの時、「哀しみの忘れ方」を思い出せなかった理由を、
    この作品の中に見つけたような気がしました。
    哀しみはいつだって、愛のそばにある痛み。
    私は、一人の人間であると同時に、
    音楽家、セラピストという仕事柄、
    多くの哀しみを抱えた人たちに出逢います。
    私がどなたかの、哀しみの行き場所と、哀しみの居場所となれるのか、
    私自身の課題にもなりました。
    本当に、多くの方々に見ていただきたい作品です。
    この作品を見て、何かを感じた方が、
    誰かの哀しみの行き場所、哀しみの居場所となれますように。

  • ★藤田朋子(女優)

    誰かが悲しい時に寄り添いたいと思う気持ちを持っているのに、自分が悲しみの真ん中になると、暗くて硬くて小さな殻に閉じ篭もってしまう。私達は癒し合える事を知る時が来ました。

  • ★鈴木トシ子(映画「天外者」共同プロデューサー)

    苦しみや悲しみは、愛しい人との想いの証し。
    いつの日か優しい思い出に抱きしめられる時まで
    寂しさや悲しみは、あなたを愛した証し。
    いつか再び巡り会うまでの大切な時間。
    目にふれる総ての思い出さえ苦しいよ
    忘れるなんて出来ないよ
    きっとそれで良いと
    泣かずに思い出せる時迄。

  • ★井辺國夫((一財)冠婚葬祭文化振興財団 エグゼクティブ フェロー)

    グリーフケアの時代に
    突然訪れるグリーフを、ひとり一人がどのように受け止め向き合っているのかについて、丁寧に傾聴して作り上げられた素晴らしい映画であります。
    冠婚葬祭文化が長い歴史の中で人々の喜びや悲しみへの対応に重要な役割を果たしてきたところでありますが、人と人、人と地域の関係の希薄化が進む中で、本映画はグリーフケアに係る葬式や法事等の儀式に代るあるいは追加的な取り組みの必要性を紹介するものでもあります。この取り組みを広く支援していくとともに、冠婚葬祭の大切さが再認識され実践されることを通じ人々が心安らかに過ごせる時代がきてほしいと考えています。

  • ★鈴木靜雄((株)リブラン/いたばし倫理法人会 創設者)

    今、日本社会、地域・家族は崩壊してる時代ですから、この映画の問題提起は正にタイムリーです。僕も5年前、元気な妻(78才)を暮れの寒い日に突然、露天風呂でヒートショックで亡くしました。その日家内は元気で「お父さん先にいきますね!」と、「後からいくよ!」と顔みないまま。これが最後に聞いた妻の声でした。妻を亡くした旦那は3ヶ月後位に、後追いして亡くなる方が沢山いるそうです。僕も直後は、家中を狂ったように叫びながらかけ周り、台所で包丁を手に、仏様の前で自決をしようと思いました。僕も3ヶ月後に入院、幸い大事にはいたりませんでした。今、立ち直りましたが、
    その力は息子たち家族の絆、友人らからの毎日毎日の慰めでした。今、妻は死んでない、生きてる、鮮やかに、いつも二人は手を繋いで。この映画が、奈落の淵から、悲嘆にくれた方々を救うことを祈るばかりです。

  • ★徳増卓宏(精神科医・医学博士)

    最愛の人を失った時、あの時こうしていれば、あの日に戻れれば、と、自分を責めてしまう方は少なくありません。コミュニティが希薄化した現代社会においては、死を忌み嫌い、遠ざける手段をとってきました。結果、生と死は分断され、現代人は正しい離別の仕方を忘れてしまっているのかもしれません。
    「グリーフケア」、まだ一般的ではないこの言葉について、この映画はわかりやすく、かつ専門的な見地から、別れや悲しみとの向き合い方について教えてくれます。
    身近な友人や家族の深い悲しみにふれ、寄り添いたいと思う時は必ずあります。
    愛する人と一緒に、全ての人に見て欲しい映画だと思います。

  • ★大谷賢博(サンレー北陸金沢紫雲閣・上級グリーフケア士)

    今、私に何ができるのだろうか、と考えさせられました。
    想像を絶する喪失感と圧倒的な悲しみを抱えた人に対して。
    地縁、血縁が薄れ、無縁社会と呼ばれる時代。
    人間関係の希薄化。それにより悲しみを誰かに打ち明けることができない社会。
    それは人間が孤立しやすい社会だということ。
    そんな中で「再び生きようとするきっかけがグリーフケアでした」という言葉は、強烈に輝く一筋の光のようでした。
    何も語らず手のひらを添える「非言語で伝えてくれた」誰かの想い。「悲しみの根底が愛なのだと、寄り添ってくれて初めて分かった」という語りには激しく心が揺さぶられました。
    深い痛みを誰かと共有できる経験が大切であり、支え合う関係、受け止める関係。
    それはお互いにケアし、ケアされる社会の確立であるということ。悲しみを乗り越えようとするのではなく、悲しみとともに生きる社会。
    それには、同じ境遇の人達が集まる場所が必要で、そのつながりはまさに「悲縁」であるということ。死が特別なものではなく、日常として語ることの出来る場。
    「死」があってはじめて「生」が輝くことが、世の中の人にもっと広がればと強く願いました。
    新たなる始まりの予感がするドキュメンタリー映画「グリーフケアの時代に」
    この映画を観て、私たちの魂は悲しみを深く抱えているときこそ、その喪ったものと深く結びつくのだと気づきました。

  • ★齋藤秋水(岩手めんこいテレビ代表取締役社長)

    グリーフケアという言葉自体を知らなかった自分にとって、「グリーフ=喪失(深い悲しみ)」という意味を調べたとき、観る前は正座して息を整えて画面に見入りました。とても気が重く、どのような深い悲しみを見せられるのか?と覚悟して観ました。しかし僧侶の金田さんの落ち着いた語り口や元所長の島薗さんの「人間の一生は、喪失の連続」という達観を入り口に、お話としては本当に「悲しい」話を聞いているのだが、逆に自分が勇気付けられ、あっという間に映画は終わっていました。
    私は中村裕さんという取材者は常に取材対象に惚れ込み、のめり込み、半ば同一化してしまう稀有な取材者だと評価しています。今回の映画では、中村裕さんの「グリーフ」が取材対象によって癒されていく過程を見たような気がしました。私自身もこれから受け入れるであろう「グリーフ」に対しても「生きているだけで素晴らしい」「見えるものだけに価値を見いださず、喪失した場所に見えてくるものを想像する」ことで乗り越えられそうだ、と思えました。
    映画終了後には、鑑賞前の自分より人生についてポジティブな強い気持ちになっていました。とてつもない喪失が誰にでも訪れます。でもそんなとき、「グリーフケア」というものがあって、話を聞いてくれる人がいる。
    一人じゃないんだって…。

  • ★松本貴子(ドキュメンタリー映画監督 )

    たとえ撮影という名目であっても、人はおいそれと辛いことを語ろうとしない。
    しかし、中村監督は、一人一人と向き合い、偽りのない言葉を引き出していく。
    実は、グリーフケアで最も大切なことは、ただただ話を聴き寄り添う「傾聴」だそうだ。
    監督はこの「傾聴」を映画の中に吹き込み、観るものに希望を与えている。
    まるで、これからの人生に”お守り”をもらったような安心感。
    この”お守り”を、一人でも多くの方が手にしますように!

  • ★加藤美千代(一般社団法人日本グリーフケアギフト協会 代表理事)

    息子を失った後、「グリーフケア」という言葉を知り、暗闇の中にいた私は、かすかな希望を感じました。
    人はどのように死別という喪失に対処し、周囲の人は遺族にどう接したらよいのか。
    死生学や心理学などの研究で明らかになってきています。
    人間の死亡率は100%で、誰もがいつかは遺族になります。